カマドウマ、チョウバエ。それぞれの虫の名前を聞くよりも、「便所虫」という一つの言葉で括られた時、私たちの心に湧き上がる嫌悪感は、なぜか一層強くなるように感じませんか。この、言葉そのものが持つ強烈な不快感の正体は、一体どこにあるのでしょうか。それは、虫そのものの見た目や性質以上に、私たちの深層心理に根差した、二つの重要な要素が絡み合っていると考えられます。「聖域への侵犯」と「不潔さの象徴」です。まず、「聖域への侵犯」についてです。トイレという空間は、家の中でも最もプライベートで、無防備になる場所です。生理現象を処理するための、いわば個人的な「聖域」とも言えます。私たちは、その空間が常に清潔で、安全であることを無意識に求めています。そこに、私たちのコントロールの及ばない、異質な生命体である「虫」が侵入してくるという事実は、この聖域が外部から侵されたという感覚、つまり縄張りを侵犯されたという本能的な不快感と不安を引き起こします。特に、カマドウマのように予測不能な動きをする虫であれば、その脅威はさらに増幅されます。次に、「不潔さの象徴」という側面です。「便所」という言葉は、本来的に排泄物や汚物と直接結びついています。その場所に現れる虫は、たとえその虫自体が衛生的には無害であったとしても、私たちの頭の中で自動的に「汚いもの」「不潔なもの」というレッテルが貼られてしまいます。チョウバエが汚泥から発生するという事実を知れば、なおさらです。彼らは、目に見えない汚さや不潔さを可視化する存在、つまり「不潔の象徴」として私たちの目に映るのです。この「聖域を侵す、不潔の象”徴」という強烈なダブルパンチが、「便所虫」という言葉に、他の害虫とは一線を画す、特別な嫌悪感を付与していると言えるでしょう。私たちが戦っているのは、単なる虫ではなく、清潔な暮らしを脅かすという、概念そのものなのかもしれません。
便所虫という言葉が持つ不快感の正体