「なぜ、危険なスズメバチの巣なのに、市役所は駆除してくれないのか」。多くの市民が抱くこの素朴な疑問は、日本の法律における「土地の所有者責任」という、重要な原則に行き着きます。スズメバチの巣が、あなたの自宅の庭や、マンションのベランダといった「私有地」に作られた場合、その巣を駆除し、安全な状態を維持する責任は、原則として、その土地や建物の「所有者」または「管理者」にある、と定められているのです。これは、民法第717条に規定されている「土地工作物責任」という考え方に基づいています。この法律では、土地の工作物(建物や、それに付随する庭木など)の設置または保存に欠陥があることによって、他人に損害を生じさせた時は、その工作物の占有者(実際に住んでいる人)または所有者が、その損害を賠償する責任を負う、とされています。例えば、自宅の庭木にできたスズメバチの巣を放置した結果、隣人や通行人が刺されてしまった場合、その家の所有者は、治療費などの損害賠償を請求される可能性があるのです。スズメバチの巣の存在は、土地の「保存の欠陥」と見なされるわけです。市役所などの行政機関は、税金によって運営されており、その活動は、道路や公園といった公共の福祉のために行われるものです。特定の個人の私有財産の維持管理のために、税金を使って直接的なサービス(駆除作業など)を行うことは、公平性の観点から、原則としてできないのです。もちろん、市役所は、市民の安全を守るという大きな責務を負っています。そのため、駆除に関する情報提供や、業者の紹介、補助金制度の設置といった「間接的な支援」を行うことで、その責務を果たしています。しかし、最終的な駆除の実施と、それに伴う費用の負担、そして万が一の事故が起きた場合の責任は、あくまでもその土地の所有者・管理者にある、ということを、私たちは社会の一員として、正しく理解しておく必要があります。